最新情報 NEWS
日本一難しい溶接検査を一回で合格する達成感。言葉の壁を乗り越えた先に見つけた居場所。
ブラジル生まれ、ブラジル育ちの瓜生(うりゅう)は日系3世の40歳。
15歳で来日し、造船業、建設業を経て京浜マリンに入社。15年目の溶接工である。
入社当初は専門用語が飛び交う現場で言葉の壁から孤独と焦りを感じる日々だったが、辛抱強く教えてくれた先輩のお陰で溶接工としての本領を発揮。高難易度の溶接作業にも前のめりに取り組み、会社からも頼りにされる腕前だ。
溶接工の仕事は毎日が発見の連続。昨日より今日・今日より明日と日々の新しい技術習得が嬉しいと話す瓜生に、京浜マリンと共にある今の生活について聞いた。
京浜マリン入社に至るまでの道のり
来日のきっかけは先に叔父と兄が日本で生活していたことです。以前より日本に関心があったのですが、溶接の仕事をしている兄が一緒に働かないかと誘ってくれたのです。その経緯があり日本で初めて就いた仕事は造船の溶接工でした。造船の溶接・鍛冶工事は作業難易度や工法が多岐に渡り学ぶことの多い仕事です。約10年の経験を積んだ後、友人を介して出会った京浜マリンの羽田空港の現場が私の人生の転機となりました。
言葉の壁を乗り越えた先に見つけた、溶接工としての居場所
京浜マリンに入社した当時は、前職までの経験で既に溶接の技術には自信がありました。しかしその一方で日本語はあまり得意とは言えない状態でした。日常会話は話せるものの、専門用語はほとんどわからず、熟語や難しい言葉が飛び交う現場では他人が何を話しているのか理解ができず、この頃は仕事をしていて一番辛かった時期です。
指示を正確に受け取れないことが多々ありましたが、それでも現場の責任者だった甲斐さんをはじめ、先輩方が根気強く付き合ってくれ丁寧に指導していただきました。私にも分かる言葉で、時にはデモンストレーションを通して作業内容を伝えてくれました。何度同じことを確認してもその度に理解できるまで説明してくれて、時間や手間を惜しまず寄り添ってくれたからこそ今があります。
特に記憶に残っているのは品川のシールドトンネルでの止水のために行なった溶接です。これが非常に苦戦したのですが、地下水で濡れながらも先輩がずっと隣でサポートしてくれて。あの時一人だったら体力的にも精神的にも何倍も苦しかったと思います。そのような人の気持ちを汲み取ってフォローしてくれる先輩や上司がいるのが「京浜マリン」です。
レベルの高い検査に通った瞬間の達成感。溶接にのめりこむ理由。
京浜マリンでの私の業務は比較的大規模な、トンネルなどの建設工事で発生する溶接・鍛冶工事がメインです。この仕事の醍醐味は、やはり厳しい検査をクリアした時の達成感です。やってきたことが着実に実になっていると認められる瞬間。
溶接工事には検査があり、定められた品質基準を満たす条件があります。入社3年目で担当した羽田空港D滑走路の溶接では日本一厳しい検査を受けました。高難易度の検査に通用するか不安はありましたが、とにかく自分の持てる力を最大限発揮して丁寧にやり遂げること、それだけを信じ滑走路のジャケットを繋ぎました。緊張しましたが、ストレートで検査をクリアできたあの達成感は忘れられません。
充実感を味わえるのは自分の技術が高い品質基準を満たせた時、そしてお客様である元請企業の監督さん達に「期待以上だ」とお褒めの言葉をいただけた時です。溶接技術を磨きたい職人魂の様な部分が掻き立てられるのです。
私の最大の武器は、趣味のように仕事をしていることだと思います。毎日発見があり、毎日学びのある「溶接・鍛冶」という仕事はそれほど探求しがいのある世界であり、尚且京浜マリンは一人ひとりがその高い技術と歴史に誇りを持って働いています。
ここで働けるからこそ家庭を持つ決心ができた
会社は私たち社員の意見に耳を傾けてくれます。特に生活環境に応じて夜勤や日勤の希望を都度相談し、柔軟に対応してもらえることや、精度が整った福利厚生は長く勤められる理由です。
私は結婚を控えていて、間もなく自分の「家族」ができます。異国の地である日本で結婚を決意できたのは、仕事への自信だけでなく家族を支えられるという自負があり、それはこの会社での安定した収入が期待できるからです。ブラジルでは大学を卒業していないと安定した仕事に就けない可能性もありますが、ここではしっかり努力を評価してもらえ、給与に反映されます。社長を筆頭にフレンドリーな社風がありながらも、社員を大切にしている姿勢が随所から感じられます。
現場で指名される溶接工を目指して
今後も溶接・鍛冶工として与えられたこの環境で日々成長を続けていきたいです。目標は、現場で自分の名を轟かせ、会社の拡大に貢献することです。
建設業では職人として技術が認められれば、難しい作業においても指名が入ります。「これは瓜生に頼むしかない」と、溶接・鍛冶の分野において真っ先に声をかけられる存在になっていきたいと思っています。